その日は、娘が、朝6時30分からにテレビ体操をたまたま見て、元気に体操をしていました。
体操が終わり、画面には続いて『みんなのうた』が流れてきた。 ふと手を止めて画面に目をやると、そこに映っていたのは1970年代の少しレトロな映像だった。
10歳ほどの少年が、可愛らしくもどこか凛とした力強い声で歌っている。 歌詞の内容は、「転校先の教室で、自分のスタイルを武器に仲間へ挨拶をする」というもの。
「へえ、可愛らしいけど芯のある歌だな」
そう思いながら見ていると、番組はそのまま2曲目へ突入した。 画面が変わって現れたのは、日本を代表する圧倒的な熱量を持った、あのロックスターの現在の姿だった。
時を超えて連続で流れた2曲。その衝撃的なシンクロ
1曲目は、10歳の少年が新しい教室で「これが僕だ!よろしくな!」とまっすぐに自己紹介・挨拶をする歌。
そして2曲目は、大人になった彼が、激しいロックサウンドに乗せて「俺の道を行くぜ!」と全身全霊で自身の生き様を叫ぶ歌。
可愛らしい子どもの歌と、魂を揺さぶる大人のロック。 一見するとまったく別物に思える2つの楽曲だが、耳を傾けているうちに、ゾクゾクっと鳥肌が立つような感覚に襲われた。
「これ……歌の内容が、時を超えて完璧にシンクロしているんじゃないか?」
10歳の「教室への挨拶」が、大人になって「世界中への挨拶」に変わった
後から調べて分かったのだが、実は1曲目の歌は、彼自身が作詞・作曲したものではない。プロの作家陣の手によって作られた楽曲だ。
にもかかわらず、半世紀近くの時を経て、大人のロックミュージシャンとなった彼が自分で書き下ろした歌と、根底にある魂やテーマが寸分狂わず一致しているのだ。
- 10歳の頃: 転校先の教室という新しい世界に向かって、自分らしさを武器に「これが僕だ」と挨拶した少年。
- 大人になった今: 「ロック」という最強のツールを手に、人生という大きな舞台に向かって「これが俺の生き様だ!」と世界中に挨拶を解き放つ姿。
子どもの頃に全身全霊で歌ったあの「挨拶」の体験が、彼の中に深く刻まれ、ブレないアイデンティティとして受け継がれたのか。 それとも、もともと彼の中にあった真っ直ぐな生き様が、あの歌を引き寄せたのか。
本人の作詞作曲ではないからこそ、この半世紀を超えたストーリーと運命的な一致には、胸が熱くなるドラマを感じずにはいられなかった。
朝のテレビ体操から受け取った、僕がブログを書く理由
10歳の彼は教室で自分を表現し、大人になった彼はロックというツールで世界中に挨拶をした。
じゃあ、僕はどうだ?
僕には「ブログ」というツールがある。
正直に明かすと、この記事だってAIという新しい相棒の力を借りながら、二人三脚で言葉のバランスをとって書き上げている。 だけど、あの日テレビの前で震えた感情も、届けたい熱量も、間違いなく僕自身のものだ。
どんなツールを使ったっていい。大切なのは、自分の中にある言葉と想いを世界に投げかけることだ。
あの日、画面越しに受け取った勇気を胸に。 僕も僕らしいスタイルで、このブログを通して世界中に向けてまっすぐに「挨拶」を届けていきたい。
ただの平日の朝、テレビの前にいたはずの僕の背中を、強く押してくれるような出来事だった。

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